テクニシャンです

頑張っていきます

ありがとう

 美化は不可能だが、それは唐突に訪れるものでなかったことは、私の予想に反していた。決壊は段階的に、私の場合は特に年月をかけて、ゆっくりと進んでいった。

 

 理由の欠如は行動の停止にはつながらなかった。無味乾燥とした意味は絶望を止めることはできなかった。美しい記憶として想像される紋切り型の風景。圧倒的すぎるが故にその陳腐さに目を瞑らざるをえない、オレンジの発光と風に戦ぐ透明な流れ。眺めていた。それはつまり、絶え間ない循環に悩まされるようになってからは味わえなくなっていた、終わりの感覚。子供たちの帰路。夜の始まり、安らぎの時。

 

 暗闇は何も隠していなかった。そう知ってしまった。

 

 怯えながらたどる

フリーター

 積み上げられた本を盛大に倒壊させることで報酬を得る系のバイトの帰りに、電車に乗ることができた私は、スカスカの座席一つ一つに手を合わせていった。感謝を告げる相手すら失い途方に暮れた私は優先席に擬態している誰でも座ってokな車両の端の席でゆっくりと体育座りをする。席の下に放置されていた空き缶が電車が揺れるごとにニョキっと顔を出し、その空き缶の中にいる変な緑色の虫も挨拶をしてくるが、すぐにまた帰っていくその姿は、お店やってますかと聞いてくるくせに店内を舐めるように一瞥したらまた来ますと去ってゆく冷やかしにそっくりだ。

 隣に座ってきた人が言う。

「お婆さんこれから何すんの」

「感覚を大事にする。何かが終わってゆくという感覚だけがしている。そこにあったはずの言葉をもう見失っている」

 隣の人の顔が歪みはじめ、その顔はただ向かいの車窓に映る暗闇だけを凝視し、こめかみを起点にぼこぼこと浮かび上がるホースほどの太さの血管が顔中をぐるぐる巻きにし、鼻は天狗のように飛び出して、それは完全な球体に刺された一本の電波塔となった。

「私は全てを受信する。お前の心の中さえも。お前のことが俺には分かっている。震えているな」

「終末の香り、だがいつ始まっていた?生まれた瞬間の記憶を掘り起こすがいい。あなたがいた場所を想像してほしい。この宇宙が誕生したその時、全ては同時に終わり始めたのだ。」

 電車を降りると、それはもはや船だった。

俺は分かってるけどお前は?

 なぜ勉強しないといけないんですか?簡単です。「私はあなたとは違うんです」という旨を非直接的に伝達できる能力をつけるためです。グループの調和を保つために最も効果的な方法とは、異分子をぶん殴ることでも先生に言いつけることでもなく、相手自身にその輪に入ることを諦めさせることに他ならない。会話を縮小し、言葉をコード化し、実際に話されている内容自体の凡庸さは隠蔽すればいい。お前は馬鹿だと正面から伝えれば、相手に意味が理解されてしまう。相手に悟らせなければならない。爪の甘い者たちはコードの遊戯には手慣れているものの、一度追い出したものたちからの文句に耳を傾けてしまい、装飾を忘れた生身の言葉たちで応答してしまう。人文学の凋落が著しいのは、実証性に心配があるからではなく、そのコードの解明が比較的容易であり日常表現と溶け合っているからだ。数式は分からないですけど、死は分かります。だって日本語ですよね?だからさらなる徹底を図るには、空間的な移動と占有が必要となる。今時インターネットも繋がらない高層ビルの屋上や隠された地下室で、奴らは意味不明な言葉遊びを楽しんでいる。僕も仲間に入れてください!なるほど、あなたはフランス語ができますか?収入はおいくらですか?保育園ではなく幼稚園を卒業しましたか?身長は?ストローブ=ユイレの作品はいくつご覧になったの?……

 

 「分かっている」人間を増大させることを目的とする行為を啓蒙と呼ぶならば、それは失敗が約束されている。「分かっている」人間が自分だけでは寂しいから開始されるその営みは、「分かっている」人間は多くはいらないという困難に必ず衝突するからだ。哲学が開かれた門であるというのは、自分から行動する精力を失った怠け者たちが単に門を開けっぱなしにしておくことでその選別を守衛に任せているというだけの話で、入場することが許されないものたちは当然存在する。その態度を割り切れる人間以外の言葉は非常に偽善めいていて、結局それも単なる選択された姿勢でしかない。承認と自己肯定への欲求から繰り出される差異の諸関係の中で、どれほど綺麗事を言おうとお前はお前以外の人間を排除することが何よりの望みなんですよ!

 

 今の場所から逃げ出し、あなたたちの仲間に入るために一生懸命勉強します。そして見事地位を手に入れたものたちはお互いの性器に軽く手の甲をなぞらせながら、以前の自分に向かってこう言うだろう。「もっと勉強して、賢くなりなさい。何のためにって?私たちの仲間になるためによ。先着20名。お早めに」。肝心なのは、話されている内容ではなく、姿勢です。

 

その欺瞞性に気づいている人間は勿論多くいるが、結局その呪縛から逃れることはできない。でも語学ができるのは当たり前だよね、ブログに固有名詞は使うよね、オナニーしたら手は洗うよね(ここで重要なのは「でも」の部分である。この言葉は理解を示しながらも敵を滅多うちにする大人の最強の武器だ)。あらゆる場所がそういった入館証明書を必要としていて、財布を落とした俺が入れる場所は誰もいない公園の公衆便所ぐらいしかない。そこで用を足しているとホームレスがやってきて唾を飛ばしながらこう言う。「貧困層であることを証明できるものはありますか?」。

 

 

 なぜこんなブログを書かないといけないんですか?簡単です。「俺はあなたとは違うんです」。

初ブログ!

「あなたもきっとブログを書くのだろう」と予言した。無配慮な言葉選びで実体のないセンスとやらを偶然的に獲得しようとする短歌に、あえて無駄な骨組みを取り付ける労力の引き換えにその威厳を保っているのが小説だとすれば、ブログはまさにその狭間にある。無秩序がセックスを生み、意味がオナニーとなる。もはや我々がブログを書くことから逃げられる術はない。予言は的中する。「あなたはなぜ書かない?」「それ以外の方法がないからだ」

 

 イージーな承認、俺はそんなものに惑わされない!だが、状況は好転しない。欲しいものは場所だ。自分だけの場所。名が売れたら変わるわけでもない。それはまさに表面的な話だ。では書かないことで自分を保つか?それこそ全くもって意味のない苦しみだ。だから書くしかない。その動機はシンプル。俺の話を聞いてくれ。

 

 炎天下、宙を舞う白うなぎ、最悪の履き心地、eytysのサンダル。俺は砂場遊びをせざるを得なかった。サッカーボールが上手く蹴れないからだ。思い通りに動かない身体にはもう慣れた。開通したトンネルの先にいたあいつが言う。「お前今何してんの?」。突然の豪雨でサッカーは中止になり、皆公園から飛び出していく。砂が泥になり足元まで浸かった俺は徐々に沈んでいく。雨粒で瞼が押されせり上がる泥が鼻腔を侵食する。息ができずに当然苦しい。至極当然。近くのビルに避難したあいつが叫んでる。「お前今何してんの?」。俺は苦しい。叫び返すが声が届かない。

 

 本当はサッカーより砂場遊びの方が好きなのかもしれない。分からないがどうでもいいことだ。結局俺にはそれしか残されていなかった。だからスコップも持ってくるし家になかったバケツだって買ってくるよ。「お前今何してんの?」。なんて返せばいいのかようやく分かった気がする。「死ね」。

 

 砂場の王様だと軽蔑されても、俺にとってはこの砂場が世界だった。そしてそれは全てを飲み込む荒涼な砂漠へと変化する。俺は俺の砂漠の唯一の王だった。お前らが俺の砂漠をどう思うかは自由だ。俺はサッカーを頭の悪い人間がやるスポーツだと思っているし、お前らの多くは砂場を餓鬼の遊び場だと思っているだろう。だが、嘘はつかないでくれ。メッシやロナウドになる気がないならやめた方がいい。中途半端に足を踏み入れるぐらいなら初めから来ない方がいい。というか俺以外の人間全員死んだ方がいい。

 

 俺の声は届いているだろうか。共にトンネルを掘り進めてくれる奴がいるなら何よりだが、それほど多くは求めない。だから見ていてほしい。黙れ。観客面しないでください!時たまその足を止め、何度も重たい砂に足を取られもがいている俺に手を振って欲しい。助けを求めている。残念ながら、救いは訪れない。それでも、俺の声を聞いてくれ。それでも、世界に意味はない。

 

 俺は本気で話すことしかできない。本気じゃないお前とはお互い何の得もない。

 

 残像の感覚。ポケットにしまった掌が、買われなかった拳銃を握る。ナイフは近すぎる。弾丸なら離れててもお前を撃てる。狙いは外れるだろう。俺は運動神経が悪いんだ、見開き一ページ。震えながら駆け出していく俺。視界は嫌というほどに良好だ。全員殺してやる。音を立てて逃げる。飛来する泥を掴む。俺はここにいるぞ。

 

 

お金貨してください。