テクニシャンです

頑張っていきます

俺は分かってるけどお前は?

 なぜ勉強しないといけないんですか?簡単です。「私はあなたとは違うんです」という旨を非直接的に伝達できる能力をつけるためです。グループの調和を保つために最も効果的な方法とは、異分子をぶん殴ることでも先生に言いつけることでもなく、相手自身にその輪に入ることを諦めさせることに他ならない。会話を縮小し、言葉をコード化し、実際に話されている内容自体の凡庸さは隠蔽すればいい。お前は馬鹿だと正面から伝えれば、相手に意味が理解されてしまう。相手に悟らせなければならない。爪の甘い者たちはコードの遊戯には手慣れているものの、一度追い出したものたちからの文句に耳を傾けてしまい、装飾を忘れた生身の言葉たちで応答してしまう。人文学の凋落が著しいのは、実証性に心配があるからではなく、そのコードの解明が比較的容易であり日常表現と溶け合っているからだ。数式は分からないですけど、死は分かります。だって日本語ですよね?だからさらなる徹底を図るには、空間的な移動と占有が必要となる。今時インターネットも繋がらない高層ビルの屋上や隠された地下室で、奴らは意味不明な言葉遊びを楽しんでいる。僕も仲間に入れてください!なるほど、あなたはフランス語ができますか?収入はおいくらですか?保育園ではなく幼稚園を卒業しましたか?身長は?ストローブ=ユイレの作品はいくつご覧になったの?……

 

 「分かっている」人間を増大させることを目的とする行為を啓蒙と呼ぶならば、それは失敗が約束されている。「分かっている」人間が自分だけでは寂しいから開始されるその営みは、「分かっている」人間は多くはいらないという困難に必ず衝突するからだ。哲学が開かれた門であるというのは、自分から行動する精力を失った怠け者たちが単に門を開けっぱなしにしておくことでその選別を守衛に任せているというだけの話で、入場することが許されないものたちは当然存在する。その態度を割り切れる人間以外の言葉は非常に偽善めいていて、結局それも単なる選択された姿勢でしかない。承認と自己肯定への欲求から繰り出される差異の諸関係の中で、どれほど綺麗事を言おうとお前はお前以外の人間を排除することが何よりの望みなんですよ!

 

 今の場所から逃げ出し、あなたたちの仲間に入るために一生懸命勉強します。そして見事地位を手に入れたものたちはお互いの性器に軽く手の甲をなぞらせながら、以前の自分に向かってこう言うだろう。「もっと勉強して、賢くなりなさい。何のためにって?私たちの仲間になるためによ。先着20名。お早めに」。肝心なのは、話されている内容ではなく、姿勢です。

 

その欺瞞性に気づいている人間は勿論多くいるが、結局その呪縛から逃れることはできない。でも語学ができるのは当たり前だよね、ブログに固有名詞は使うよね、オナニーしたら手は洗うよね(ここで重要なのは「でも」の部分である。この言葉は理解を示しながらも敵を滅多うちにする大人の最強の武器だ)。あらゆる場所がそういった入館証明書を必要としていて、財布を落とした俺が入れる場所は誰もいない公園の公衆便所ぐらいしかない。そこで用を足しているとホームレスがやってきて唾を飛ばしながらこう言う。「貧困層であることを証明できるものはありますか?」。

 

 

 なぜこんなブログを書かないといけないんですか?簡単です。「俺はあなたとは違うんです」。